雑器の美


   序

 無学ではあり貧しくはあるけれども、彼は篤信な平信徒だ。なぜ信じ何を

信ずるかをさえ、充分に言い現せない。しかしその素朴な言葉の中に、驚く

べき彼の体験が閃いている。手には之とて持物はない。だが信仰の真髄だけ

は握り得ているのだ。彼が捕らえずとも神が彼に握らせている。それ故彼に

は動かない力がある。

 私は同じようなことを今眺めている一枚の皿に就いても云うことが出来る。
       ゲテ
それは貧しい「下手」と蔑まれる品物に過ぎない。奢る風情もなく、華やか

な化粧もない。作る者も何を作るか、どうして出来るか、詳しくは知らない

のだ。信徒が名号を口ぐせに何度も唱えるように、彼は何度も何度も同じ轆
                             クスリ
轤の上で同じ形を廻しているのだ。そうして同じ模様を描き同じ釉掛けを繰

り返している。美が何であるか、窯芸とは何か。どうして彼にそんなことを

知る智慧があろう。だが凡てを知らずとも、彼の手は速やかに動いている。

名号は既に人の声ではなく仏の声だと云われているが、陶工の手も既に彼の

手ではなく、自然の手だと云い得るであろう。彼が美を工夫せずとも、自然

が美を守ってくれる。彼は何も打ち忘れているのだ。無心な帰依から信仰が

出てくるように、自から器には美が湧いてくるのだ。私は厭かずその皿を眺

め眺める。


   一

 雑器の美など云えば、如何にも奇を衒う者のようにとられるかも知れぬ。

又は何か反動としてそんなことを称えるようにも取られよう。だが思い誤ら

れ易い連想を除くために、私は最初幾つかの注意を添えておかねばならない。

ここに雑器とはもとより一般の民衆が用いる雑具の謂である。誰もが使う日

常の器具であるから或は之を民具と呼んでもよい。ごく普通なもの、誰も買

い誰も手に触れる日々の用具である。払う金子とても僅かである。それも何

時何処に於いても、た易く求め得る品々である。「手廻りのもの」とか「不
                             トコ
断遣い」とか、「勝手道具」とか呼ばれるものを指すのである。牀に飾られ

室を彩るためのものではなく、台所に置かれ居間に散らばる諸道具である。
                        ウチ
或は皿、或は盆、或は箪笥、或は衣類、それも多くは家内づかいのもの。

悉くが日々の生活に必要なものばかりである。何も珍しいものではない。誰

とてもそれ等のものを知りぬいている。


   二

 しかし不思議である。一生のうち一番多く眼に触れるものであり乍ら、そ

の存在は注視されることなくして過ぎた。誰も粗末なものとのみ思うからで

あろう。さながら美しきものが彼等の中に何一つないかのようにさえ見える。

語るべき歴史家でさえ、それを歴史に語ろうとは試みない。しかし人々の足

許から彼等の知りぬいているものを改めて取り上げよう。私は新しい美の一

章が今日から歴史に増補せられることを疑わない。人々は不思議がるであろ

うが、その光は訝りの雲をいち早く消すであろう。

 しかしなぜかくも長くその美が見捨てられたか。花園に居慣れる者はその

香りを知らないと云われる。余りに見慣れているが故に、とりわけ見ようと

はしないのである。習性に沈む時反省は失せる。まして感激は消えるであろ

う。それ等のものに潜む美が認識されるまでに、今日までの長い月日がかかっ
     アナガ
た。私達は強ちそれを咎めることが出来ぬ。なぜなら今までは離れてそれ等

のものを省みる時期ではなく、まだそれ等のものを産み、その中に生きつつ

あったからである。認識はいつも時代の間隔を求める。歴史は追憶であり、

批判は回顧である。

 今や時代は急激にその方向を転じた。凡てのものが今日ほど忙しく流れ去

ることは又とないかもしれぬ。時も心もまたは物も過去へと速やかに流れた。

因襲の重荷は下ろされたのである。私達の前には凡てが新しく回転する。未

来も新しく又過去も新しい。慣れた世界も今は不思議な世界である。吾々の

眼には改めて凡てのものが印象深く吟味される。それは拭われた鏡にも等し

い。一切が新しく鮮やかに映る。善きものも悪しきものも、その前には姿を

偽ることが出来ぬ。何れのものが美しいか。それを見分くべきよき時期は来

たのである。今は批判の時代であり意識の時代である。よき審判者たる幸が

吾々に許されてある。私達は時代の恵みとしてそれを空しくしてはならない。

 塵に埋もれた暗い場所から、ここに一つの新しい美の世界が展開せられた。

それは誰も知る世界であり乍ら、誰も見なかった世界である。私は雑器の美

に就いて語らねばならない。又その美から何を学び得るかを語ろうとするの

である。


   三

 毎日触れる器具であるから、それは実際に堪えねばならない。弱きもの華

やかなもの、込み入りしもの、それ等の性質はここに許されていない。分厚

なもの、頑丈なもの、健全なもの、それが日常の生活に即する器である。手

荒き取り扱いや烈しい暑さや寒さや、それ等のことを悦んで忍ぶほどのもの

でなければならぬ。病弱ではならない。華美ではならない。強く正しき質を

有たねばならぬ。それは誰にでもまた如何なる風にも使われる準備をせねば

ならぬ。装うてはいられない。偽ることは許されない。いつも試練を受ける

からである。正直の徳を守らぬものはよき器となることが出来ぬ。工芸は雑

器に於いて凡ての仮面を脱ぐのである。それは用の世界である。実際を離れ

る場合はない。どこまでも人々に奉仕しようとて作られた器である。しかし

実用のものであるからと云って、それを物的なものとのみ思うなら誤りであ

る。物ではあろうが心がないと誰が云い得よう。忍耐とか健全とか誠実とか、

それ等の徳は既に器の有つ心ではないか。それはどこまでも地の生活に交わ

る器である。しかし正しく地に活くる者に、天は祝福を降すであろう。よき

用とよき美とは、叛く世界ではない。物心一如であると云い得ないであろう

か。

 彼等は勤め働く身であるから、貧しく着、慎ましく暮している。しかしそ

こには満足が見える。彼等はいつも健やかに朝な夕なを迎えるではないか。

顧みられない個所で、無造作に扱われ乍ら、尚も無心に素朴に暮している。

動じない美があるではないか。僅かの接触で戦くほどの繊細さにも心を誘う

美しさがある。しかし強き打撃に、尚も動ぜぬ姿には、それにも増して驚く

べき美しさが見える。しかもその美しさは日毎に加わるではないか。用いず

ば器は美しくならない。器は用いられて美しく、美しくなるが故に人は更に

それを用いる。人と器と、そこには主従の契りがある。器は仕えることによっ

て美を増し、主は使うことによって愛を増すのである。

 人はそれ等のものなくして毎日を過ごすことが出来ぬ。器具とはいうも日

日の伴侶である。私達の生活を補佐する忠実な友達である。誰もそれ等に便

りつつ一日を送る。その姿には誠実な美があるではないか。謙譲の徳が現れ

ているではないか。凡てが病弱に流れがちな今日、彼等のうちに健康の美を

見ることは、恵みであり悦びである。


   四

 そこにはとりわけて彩りもなく飾りもない。至純な形、二、三の模様、そ

れも素朴な手法。彼等は知を誇らず風に奢らない。奇異とか威嚇とか、少し
      タクラ                  サマ
だにそれ等の工みが含まれない。挑むこともなくあらわな態もなく、いつも

穏やかであり静かである。時としては初心な朴訥な、控え目がちな面もちさ

え見える。その美は一つとして私達を強いようとはしない。美を衒う今日で

あるから、わけてもそれ等の慎ましい作が慕わしく思える。

 それ等の多くは片田舎の名も知れぬ故郷で育つのである。又は裏町の塵に

まみれた暗い工房の中から生まれてくる。たずさわるものは貧しき人の荒れ

たる手。拙き器具や粗き素材。売らるる場所とても狭き店舗、又は路上の蓆。

用いらるる個所も散り荒さるる室々。だが摂理は不思議である。これ等のこ

とが美しさを器のために保障する。それは信仰と同じである。宗教は貧の徳

を求め、智に奢る者を誡めるではないか。素朴な器にこそ驚くべき美が宿る。

 作は無慾である。仕えるためであって名を成すためではない。丁度労働者

が彼等の作る美しき道路に名を記さないのと同じである。作者はどこにも彼

の名を書こうとは試みない。ことごとくが名なき人々の作である。慾なきこ

の心が如何に器の美を浄めているであろう。殆ど凡ての職工は学もなき人々

であった。なぜ出来、何が美を産むか、これ等のことに就いては知るところ

がない。伝わりし手法をそのままに承け、惑うこともなく作りまた作る。何

の理論があり得よう。まして何の感傷が入り得よう。雑器の美は無心の美で

ある。

 名も無き作であるから、私達は作者の歴史を綴ることは出来ぬ。作る者は

優れた少数の個人ではなく、あの凡夫と呼ばれる衆生である。あの驚くべき

器の美が民衆より生まれたとは何を語るであろう。嘗て美は凡ての者の共有

であって、個人の所有ではなかった。私達は民族の名に於いて、時代の名に

於いて、その労作を記念せねばならぬ。知に劣る民衆も作に於いては秀でた

民衆である。今は個人のみ活きて時代は沈む。しかし嘗ては時代が活き個人

は自からを匿した。僅かな作者から美が出るのではなく、美の中に多くの作

者が活きた。雑器は民芸である。


   五

 注意さるべきは素材である。よき工芸はよき天然の上に宿る。豊かな質は

自然が守るのである。器が材料を選ぶというよりも、材料が器を招くとこそ

いうべきである。民芸には必ずその郷土があるではないか。その地に原料が

あって、その民芸が発足する。自然から恵まれた物質が産みの母である。風

土と素材と製作とこれ等のものは離れてはならぬ。一体である時、作物は素

直である。自然が味方するからである。

 原料が失われたら、寧ろその工房は閉じられねばならぬ。材料に無理があ

る時、器は自然の咎めを受ける。また手近くその地から材料を得ることなく

ば、どうして多くを産み、廉きを得、健やかなものを作ることが出来よう。

一つの器の背後には、特殊な気温や地質やまたは物資が秘められてある。郷

土的薫り、地方的彩り、このことこそは工芸に幾多の種を加え味わいを添え

る、天然に従順なるものは天然の愛を享ける。この必然性を欠く時、器に力

は失せ美は褪せる。雑器に見られる豊かな質は、自然からの贈り物である。

その美を見る時、人は自然自からを見るのである。

 之のみではない、凡ての形も、模様も、原料に招かれるのだと云うべきで
               ユカリ
あろう。その間にはいつも必然な縁が結ばれてくる。よき化粧とは身に施す

ものではなく、身に従うものであろう。原料を只の物資とのみ思ってはなら

ぬ。そこには自然の意志の現れがある。その意志は、如何なる形を如何なる

模様を有つべきかを吾々に命じる。誰もこの自然の意志に叛いて、よき器を

作ることは出来ぬ。よき工人は自然の欲する以外のことを欲せぬであろう。

 このことはよき教えではないか。神の子たるを味わう時、信の焔は燃える

であろう。同じように自然の子となる時、美に彼は彩られるであろう。詮ず

るに自然に保障せられての美しさである。母のその懐に帰れば帰るほど、美

はいよいよ温められる。私はこの教えのよき場合を雑器の中に見出さないわ

けにゆかぬ。


   六

 日々の用具であるから、稀有のものではなく、いつも巷間に準備される。

こぼたれるとも更に同じものがそれに代わる。それ故生産は多量でありまた

廉価である。これは数量のことに過ぎぬと思うであろうが、この事実こそは

工芸の美に不思議な働きを投げる。時として多産は粗雑に流れる恐れもあろ

う。しかしこのことなくして雑器の美は生まれてこない。

 反復は熟達の母である。多くの需要は多くの供給を招き、多くの製作は限

りなき反復を求める。反復は遂に技術を完了の域に誘う。特に分業に転ずる

時、一技に於いて特に冴える。同じ形、同じ絵、この単調な循環が殆ど生涯

の仕事である。技術に完き者は技術の意識を越える。人はここに虚心となり

無に帰り、工夫を離れ努力を忘れる。彼は語らいまた笑いつつその仕事を運

ぶ。驚くべきはその速度。否、速かならざれば、彼は一日の糧を得ることが

出来ぬ。幾千幾万。この反復に於いて彼の手は全き自由をかち得る。その自

由さから生まれ出づる凡ての創造。私は胸を躍らせつつその不思議な業を眺

める。彼は彼の手に信じ入っているではないか。そこには少しの狐疑だにな

い。あの驚くべき筆の走り、形の勢い、あの自然の奔放な味わい。既に彼が

手を用いているのではなく、何者かがそれを動かしているのである。だから

自然の美が生まれないわけにゆかぬ。多量なその製作は必然、美しき器たる

運命を受ける。

 それは驚くべき円熟の作である。あの雑器と呼ばれる器の背後には、長き

年と多くの汗と、限りなき繰り返しとがもたらす技術の完成があり、自由の

獲得がある。それは人が作るというよりも、寧ろ自然が産むとこそ云うべき

であろう。

 「馬の目」と呼ばるる皿を見よ、如何なる画家も、あの簡単な渦巻きを、

かくも易々と自由に画くことは出来ないであろう。それは真に驚異である。

凡てが機械に帰る近き未来に於いては、嘗て人の手が如何なる奇蹟をなし得

たかを信じ難くさえなるであろう。


   七

 民芸は必然に手工芸である。神を除いて、手よりも驚くべき創造者があろ

うか。自在な運動から全ての不可思議な美が生まれてくる。如何なる機械の

力も、手工の前には自由を有たぬ。手こそは自然が与えた最良の器具である。

この与えられた恵みに叛いて何の美を産み得るであろう。

 不幸にも経済的事情に強いられて、今は殆ど凡てが機械の業に委ねられる。

そこからも或る種の美は生まれてこよう。強ちそれを忌み嫌ってはならぬ。

しかしその美には限りがある。人は無制限に無遠慮にその力を用いてはなら

ぬ。それはいつも規定の美に止まるであろう。単なる定則は美の閉塞に過ぎ

ない。機械が人を支配する時、作られるものは冷たく又浅い。味わいとか、

潤いとか、それは人の手に托されてある。その雅致を生み、器の生命を産む

面の変化、削りの跡、筆の走り、刀の冴え、かかるものをまでどうして機械

が作り得よう。機械には決定のみあって創造はない。今のままなら遂に人の

労働から自由を奪い喜びを奪うであろう。嘗ては人が器具を支配し得たので

ある。この主従の二が正しい位置を保つ時、美は温められ高められた。

 手工芸の終わりが近づいて来た今日、祖先が作った雑器こそは、貴重な遺

品である。民芸が手工である時期は今や過去に流れようとしている。苦しい

事情はかかるものの復興を阻止している。今日の不合理な勢いの許では一度

廃れると、民芸として栄える日は二度とは戻り難いであろう。只伝統を守り

続ける地方のみが、今も正しい手工芸の道を歩む。そうして僅かばかりの個

人がそれを助けようと努力している。しかし「手工に帰れよ」という叫びは

いつも繰返されるであろう。なぜならそこにこそ最も豊かに、正しき労働の

自由があり、正しき工芸の美が許されているからである。かくて手工のしる

しである今日までの民器が、愛を以て顧みられる日は来るにちがいない。歴

史は傾くとも、その美に傾きはない。時と共にその光はいや増すであろう。


   八

 この世界に来る時、作る心も作られる物も、又は用いる手法も凡てが至純

である。この単純さこそは要求せられた器の性質である。人はこの言葉を粗

野という字に置き換えてはならぬ。この性質にこそ美の保障がある。よき芸

術で単純さを欠いたものがあろうか。又は錯雑が美を産んだ例が沢山あろう

か。単純を離れて正しき美はない。物は雑器と呼ばれてはいるが、純一なそ

の姿にこそ却って美の本質が宿る。人は芸術の法則を学ぶために、寧ろ普通

な誰も知る是等の世界に来ねばならぬ。
        ムゲ
 悟得するものは無碍である。自然に任ずる是等の作も自由の境に活きる。

よき手工の前に単なる掟は存在を有たない。物に応じ心に従って、凡てが流

れるままに委ねられる。如何なる形も色も模様も彼等の前に開放される。ど

れを選ぶべきか、定められた掟はない。それが何の美を産むか、かかること
 コダワ
に拘る心さえ有たぬ。しかし誤りはない。彼が気ままに選ぶのではなく、自

然が選ぶ自由に、彼を托しているからである。

 この自由こそは創造の母であった。雑器に見られる極めて豊かな種類と変

化とはこのことを如実に語る。変化は作為が産むのではない。作為こそは拘

束である。凡てが天然に托される時、驚くべき創造が始まる。技巧の作為が、

どうしてあの奔放な味わいを産み得よう。又はかくまで豊かな変化を発し得

よう。ここには徒らな循環がなく単なる模造がない。常に新たな鮮やかな世

界への開発がある。

 あの「猪口」と呼ばれる器を見よ。その小さな表面に、画き出された模様

の変化は、実に数百種にさえ及ぶであろう。しかもその筆致の妙を誰か否む

ことが出来よう。ありふれた縞ものの如きでさえ同一のものは却って見出し

難いのを知るであろう。民芸は驚くべき自由の世界であり創造の境地である。


   九

 不断遣いのものであるから粗略にされて、遠い過去のものは僅かより残ら

ぬ。残るともその種類は乏しいであろう。日本に於いて工芸が特に多様になっ

たのは、ここ、二、三世紀の間である。漆器、木工はもとより、或は金工、

或は染織、下っては陶磁器。それ等は多種な調度に適応せられた。雑器のよ

き歴史が漸く傾き始めて、正しい手工が終わりに近づいたのは明治の半頃で

ある。だが匿れた地方には、まだ手法や様式の伝統が支持されて、古格を保

つものが少なくない。今日残る雑器は江戸時代のものが多いのであるから、

種類もあり数も乏しくはない。

 徳川の文化は平民の所有であった。文学に於いてそうであり、絵画に於い

てそうである。残された雑器も、民衆によって保持された文化のよき一部を

占める。只それは浮世絵の如き都びた繊細な文化を語るのではない。素朴な

確実な郷土の風格を保有する。優美な姿はなくとも、悉くが便りになる篤実

な伴侶である。若し共に暮らすなら日に日に親しみは増すであろう。それ等
                クツロ
のものが傍にある時、真に家に在る寛ぎを覚えるであろう。

 概して見るならば、美の歴史は下り坂であった。昔に競い得る新たなもの

は稀であろう。時代が下降するにつれて技巧は無益な煩雑を重ねた。手工は

その重荷に悩んで、生気は次第に失せた。丹念とか精巧とか、それ等の特質

はあるかもしれぬ。だが単純に包まれる美の本質は殺されて了った。自然へ

の信頼は人為的作法に虐げられて、美には凋落の傾きが見える。だがこの悲

しい歴史に交わって、ひとりこの流れに犯されなかったのは、実に雑器の類

である。ここには病原が少ない。美術の圏外に放置せられたためか、作る者

は美の意識に煩わされずしてすんだ。末期に於いても健全な美を求めようと

するなら、私達はこの領域に来ねばならぬ。姿は貧しくはあろう。しかし何

ものの間に伍しても、その確かな存在が破れる場合はない。試みに一個の焼

物を選んでその裏を見られよ。よく支那や朝鮮のあの高台の強さに比べ得る

ものは、かかる雑器に於いてのみである。この世界に弱さはない。否、弱き

ものは日々の器たるに堪えることが出来ぬ。


   十

 しかし力はこれに止まらない。固有な日本の存在がそれによって代表され

る。もとより絵画に於いて彫刻に於いて日本自からの栄誉を語る幾多のもの

があろう。しかし概していうならば唐土の遺風を脱し得たものは少なく、韓

土の影響を離れ得たものも乏しい。ましてそれ等に拮抗し得る力と深さとに

充ちるものは稀だと云わねばならぬ。偉大である支那の前に、優雅である朝

鮮の前に、私達は私達の芸術を無遠慮に出すことが出来ぬ。

 しかし雑器の領域に来る時、その稀な例外の一つの場合に来るのである。

そこには独自の日本がある。充分な確実さと、充分な自由と、充分な独創と

がここに発見される。それは模倣ではない。追従ではない。世界の作に伍し

てここに日本があると言い切ることが出来る。故国の自然と風土と、感情と

理解との、まがいもない発露である。真に一格の創造である。人は雑器と呼

びなすものに、独自な日本を語ることを、遠慮がちに感ずるであろうか。ゆ

めそう思ってはならぬ。広く日本の民衆から、かかる作が生まれたことをこ

そ誇ってよい。ましてそれ等の器を日々の友としていたことを喜び合わねば

ならぬ。その栄誉は個人の所有ではなく、民族の共有である。民芸に於いて

日本の美が見出されることほど、力強い事実はないではないか。若し民衆の

生活にかかる美の基礎がなかったなら、如何に心もとなく思えるであろう。

私は日本民族の栄誉のためにも、積る塵の下から雑器を取り上げねばならぬ。


   十一

 無学な職人から作られたもの、遠い片田舎から運ばれたもの、当時の民衆

の誰もが用いしもの、下物と呼ばれて日々の雑具に用いられるもの、裏手の

暗き室々で使われるもの、彩りもなく貧しき素朴なもの、数も多く価も廉き

もの、この低い器の中に高い美が宿るとは、何の摂理であろうか。あの無心

な嬰児の心に、一物をも有たざる心に、知を誇らざる者に、言葉を慎しむ者

に、清貧を悦ぶ者達の中に、神が宿るとは如何に不可思議な真理であろう。

同じその教えがそれ等の器にも活々と読まれるではないか。

 しかも奉仕に一生を委ねるもの、自からを捧げて日々の用を務むるもの、

うむことなく現実の世に働くもの、健康と満足とのうちにこの日を暮らすも

の、誰もの生活に幸福を贈ろうと志すもの、それ等の慎ましい器の一生に、

美が包まれるとは驚くべき事柄ではないか。しかもよく用いられて手ずれを

受ける時、その美がいや増すとは何の天意であろうか。信仰の生活も、犠牲

の生活であり奉仕の一生ではないか。神に仕え人に仕え自からを忘れる敬虔

な者のその姿が、主に仕える器にも見られるではないか。現実に即するもの

に、現実を越えた美が最も鮮かに示されるとは、如何に微妙な備えであろう。

 自からは美を知らざるもの、我に無心なるもの、名に奢らないもの、自然

のままに凡てを委ねるもの、必然に生まれしもの、それ等のものから異常な

美が出るとは、如何に深き教えであろう。凡てを神の御名に於いてのみ行な

う信徒の深さと、同じものがそこに潜むではないか。「心の貧しきもの」、

「自からへり下るもの」、「雑具」と呼びなされたそれ等の器こそは、「幸

あるもの」、「光あるもの」と呼ばれるべきであろう。天は、美は、既にそ

れ等のものの所有である。


   跋

 過去の時代に於いてかかる雑器の美を認めたのは、初代の茶人達であった。

彼等には並ならぬ眼があった。人々は忘れ去ったのであろうが、今日万金を

投ずるあの茶器は、「大名物」は、その多くが全くの雑器に過ぎない。かく

も自然な、かくも奔放な彼等の雅致は、雑器なるが故だと云い得よう。もし

彼等が雑器でなかったら、決して「大名物」とはなり得なかったであろう。

人はあの「井戸」の茶碗を省みて七個の見所があると云う。後には遂にそれ

が美の約束とまで考えられた。だがもとの作者にそれを聞かせたら、如何ば

かり困却するであろう。その約束で作られる後代の模作品に、たえて優れた

作がないのも無理はない。既に雑器の意を離れて美術品として工夫されたに

過ぎないからである。人々はあの深く渋き茶器が、無造作な雑器であったこ

とをゆめ忘れてはならない。

 今は茶室を造るにも数寄をこらすが、その風格は賎が家に因るものであろ

う。今も田舎家は美しい。茶室は清貧の徳を味わうのである。今は茶室に於

いて富貴を誇るが、末世の誤りを語るに過ぎぬ。今や茶道の真意は忘れられ
               ゲテ
て来たのである。「茶」の美は「下手」の美である。貧の美である。

 史家もあの「大名物」を讃美する。だが少しも他の雑器に就いては語らな

い。さながら他には何も無いかのように考えている。だが茶碗や茶入は夥し

い雑器の中の僅か一、二種に過ぎない。美の王座についているそれ等のもの

の姉妹が、まだ限りなく塵の下に埋もれている。かかる雑器に美を認めない

のは、彼等が茶器の美に就いても既に知るところがないからであろう。

 許されるならば、私は片田舎の忘れられた民家に於いて、塵につつまれる

雑器を取上げ、新しく茶をたてよう。この時こそ道の本に返って、初代の茶

人達と心ゆくばかり交わることが出来よう。


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【所載:『越後タイムス』 大正15年9月19日】
 (出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『民と美』春秋社 初版1972年)

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